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第二話 2年A組
「あまいものがきらい」
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【第二話/2年A組】 あまいものがきらい

 放課後、オンボロ校内で唯一空調設備を備えた図書室で『火の鳥』第四巻「鳳凰編」を読んで、また気を紛らそうとしていた。第一巻を読んだのは一学期の期末試験が終わった日、二巻は文化祭の前の日。三巻目は八重ちゃんの誕生日、十一月十九日。
「おなじ学校で彼氏をつくらないことにしてるから」
 あの言葉を聞いた日は、なぜか、ひとけのない図書室の一番奥で暗くなるのを待っていた。
 何度ページをめくっても、神様の絵や文字でさえも、六月の雨に湿った気持ちの上をつるつると滑っていく。何を読んでいるのかさっぱりわからないから、読み進めるのに時間が掛かる。当番で家庭科室をふたりで掃除させられていたさっきのやりとりが頭の中でぐるぐるまわる。
 ・・・あのさ。なぁに? 彼女になってください。ごめん、だめ。なんで? だって、おなじ学校で彼氏をつくらないことにしてるから。どうしても? それじゃさ、はやしくんにとって「かのじょ」ってなに? え? いまみたいにいっしょに帰ったり、おやすみの日に映画みたり、だけじゃだめなの?
 彼女って、なんだろう? 身体の関係? そりゃ、八重ちゃんとセックスしたい。けど、そういうことじゃないような気もする。いまの関係が、どこか不安定で落ちつかないのがいやなんだ。気持ちを支えたり、支えられたり、それが出来る特定の人が、八重ちゃんであって欲しいのだ。とは考えつかずに黙り込んでしまったのが悔やまれる。まだ11ページしか進んでいなかった。風鈴がそよ風に鳴るような、かすかで澄んだ声がした。
「林先輩」
「ふん?」
「ここ、座ってもいいですか?」
 最近オオタニのところによく来てるちょっと馴れ馴れしい一年生だった。胸が大きいからやたら目立つ。顔じゃなくて胸で覚えていたぐらいだ。
「他にもいっぱい空いてるよ」
「あの、そうじゃなくて」
 ブラウスの下に小高く、薄いピンク色のブラが透けて見える。これでこないだまで中学生だった、というのがすごい。顔をよく見たら、どことなく犬に似ていた。
「座るのは構わないけど」
「五分でいいんです、ちょっと、話があって」
 僕はいま、大好きなひとに振られたばっかりなんだ、名前も知らないキミの話を聞いてあげられるような状態じゃない。とは言えなかった。何の話? とさわやかな笑顔で答えたつもりだったが、目と、ほほの周りの筋肉が引きつった。前に座るのかと思ったら隣に座られた。
「相原先輩のことなんですけど」
 なんてタイムリー。でもキミに答えるような話じゃない。答える義務もない。というか悲しみが止まらない。
「っつーか、ごめん、名前なんだっけ?」
「あ、ごめんなさい、須藤です、須藤あかねです。須藤は普通の須藤で、あかねはひらがな」
「そこまで聞いてないよ」
「あのぉ、大谷先輩に、先輩と相原先輩のこと、聞いたんですけどぉ」
 ほっといてくれ。耳をふさぎたくなった。
「あたしじゃ、だめですか?」
 ことばの真意がわからない。首をひねってそのことを無言で伝える。須藤さんが座り直して人懐っこい犬みたいな顔を接近させた。
「あたしが、彼女じゃ、だめですか?」
 答えにくいことを言うとき、頭をかいてしまうのはなぜなんだろう。だめに決まってるだろ。じゃなくて。
「ごめん、いまとてもそんなことに答えられる心境じゃない」
 左目のふちからぽろっと涙がこぼれ落ちた、ように見えた。ちょ、ちょっと待って、そんなスイッチ入れたみたいに急に泣けるもんなのか。
「ああ、あのさ、いきなりそんなこと言われても、答えようがないよ」
「んん、ごめんなさい」
 こぼれた涙は床には落ちずにブラウスの大きな胸を濡らしていた。幸い誰も見ていない。『火の鳥』を閉じて立ち上がり、リュックを担いで、ちょっと、と手招きして図書室を出た。出たところで行き先に心当たりなんか無い。どこか人目のつかないところを探し歩いてたどり着いたのは体育館の裏だった。
「須藤、さん?」
 僕は正直にさっきのことを全部話してしまった。知っての通りの片思いだけど全然脈が無いとも思えない、とか。でも手はつないだことはあるとか。勢いで余計なことまで話してしまった気がする。
「わかりました。でも、新入生歓迎会の時から、好きだったんです、林先輩のこと」
「ちょっと待ってよ、おれ須藤さんのことなんか何も知らないんだよ」
「じゃあ、知ってください、相原先輩のことが好きなままでも、いいから」
須藤さんはうつむいてしまった。
 こんな自分でも、誰かが好きになってくれるのは、素直にうれしかった。でも、いま、そんなことを言われても、申し訳無いけどちょっと困る。せめて今日ぐらい、そっとしておいて欲しかった。明日かあさってか、それか来週にでもなれば、もうちょっとましな事を言ってあげられるかもしれない。
「だからさ、もう、泣かないでよ」
「あの、それじゃあ、来週、また放課後、図書室で、待っててもいいですか?」
「うーん、たぶん」
 だんだん須藤さんが気になってきていたことに、僕は気付いていた。その大きな胸に興味があっただけだったけど。八重ちゃんだって胸は小さくはないけど、須藤さんのは、何と言うか、規格外な大きさだった。すごいな今の若い子は、と一個下の下級生に思ってしまった自分に苦笑した。
 元気になった犬に引きずられるように駅まで一緒に歩きながら話していて、新入生歓迎会の罰ゲームで女装させられた僕に、口紅を塗ったのが須藤さんだったことを聞かされた。まったく覚えがない。少し混雑し始めた下り電車に乗る大きな胸を見送って、反対側のプラットフォームへ走ってギリギリで駆け込み乗車に成功し、車内放送で注意された。明日、八重ちゃんの顔を見るのが少しつらい。毎度僕を振ったことなんか気にもしていないのがなおさらだった。でも、だからこそ、また友達でいられるのだけど。雨が強く降り出して、車窓で弾ける音がした。もうしばらくは雨の日が続く季節なんだと思うと、気持ちまで湿ってしまいそうだった。


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