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第三話 3年D組
「ほんとのことば」
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【第三話/3年D組】 ほんとのことば

 ラーメン屋を出てなんとなく三角公園に戻り、また昔話をしていた。ベンチに座ってなんとなく空を見上げ、話が途切れがちになり、八重ちゃんが膝の手提げかばんをぎゅっと抱き締めた。ごめん、ほんとはね。そして、僕と付き合ってくれなかった本当の理由を静かに話し出した。
 中学三年生のとき、新人の美術教師が赴任してきた。昼休みに、生徒たちと野球に興じて大声を出す、美術教師とは思えない快活さと、授業中の真剣なまなざしや、しなやかな手先の器用さに、憧れと恋心が混ざった感情を抱き、八重ちゃんはよく美術室へ通ったらしい。
 学校のそばのアパートに美術教師が住んでいることを知った八重ちゃんは、アイスクリームをふたつ買って、突然その教師の部屋に遊びに行った。夏休みだった。絵の具のにおいでむせ返るような部屋中に、油絵や彫像、デッサン画が一面に飾られていて、それらを眺めているうちに溶剤の臭いに気持ち悪くなり、別室で休んでいたところを、介護に見せかけて服を脱がせられ、ポラロイドに取られ、ほぼ強引に犯されたのだそうだ。
 以後、美術教師は人がいなければ学校内でも尚子と呼び、写真をだしに八重ちゃんを部屋へ呼びつけて、裸婦のモデルにさせ、八重ちゃんを抱いたのだった。それでも美術教師のことが嫌いになれず、卒業するまで、その関係が時々続いたのだが、身体を許してしまったことで急に馴れ馴れしくなったり、自分の所有物のように扱おうとするのが男なのだと考えた八重ちゃんは、卒業したら、毎日顔を合わせる範囲にそういう関係は作りたくなかった、と無理に笑いながら、話し終えた。
 ショックで、言葉が出なかった。何にショックを感じたのかもわからないぐらいだった。
「だから、そういうこと。わすれて、いますぐ」
「う、うん。でも」
「もしもね、どこかではやしくんの彼女になってたら、いま、こんなになかよくなかったよね、きっと」
 あかねとは、別れた後ほとんど話をしていない。確かに八重ちゃんの言う通りなんだろう。いまでもこうして「普通に」話が出来るのは、友達のままだったからなのかもしれない。
「あかねちゃんがさ、きゅうにきれいになったのをみてさ、ああ、やっぱりはやしくんも、すぐえっちしちゃうひとなんだって、ちょっとがっかりした」
「なら、最初からそう言ってくれればよかったのに」
「がまんできた自信、ある?」
 ある、と言いかけたが、やっぱり自信はなかった。八重ちゃんを想像して使ったティッシュペーパーの数なんか、数え切れそうにないし。虚勢を張っても、本当のことを言っても、想像の八重ちゃんを現実に出来るわけじゃない。ここまで瞬時に考えて、かなり正直なつもりの答えを返した。
「たぶん、我慢したと思う。でも、わかんない」
「みんな、あたしとはやしくん、えっちしてるっておもってたのかな」
「たぶんね。すんごく損した気がするよ」
 意地悪そうな顔で、きらいになっちゃったでしょ、と僕の頬をこぶしで突付く。
「ぜんぜん。話してくれて、うれしかったし。好きなのは変わらないよ、今でも」
「ありがと、話してよかった、よね?」
 外灯が灯り始めた。うなずいた僕の腕に腕を絡めて、頭をちょこんと二の腕に押し付けて、八重ちゃんがささやいた。
「はやしくんがちがう学校だったら、きっとあたしからも、すきって言ってたよ」
「え・・・」
「あたしだってすきだったんだもん、すきだったから、すきって言えなかったんだもん」
 八重ちゃんが選んだのは壊れてしまうかもしれないものじゃなくて、終わらないかもしれないことだったのかもしれない。どっちがよかったのかなんてわからないけど、三年間のすべてが透明なガラスケースの中にきれいなまま保存されていくような感じがした。
 腕をほどいた八重ちゃんの手を握ったら、何だかわからないけど、ありがとう、と言いたくなった。目を閉じてあごを少しあげて、口唇をそっとすぼませた八重ちゃんの顔を、目に焼き付ける。小鳥みたいに、口唇を重ね合い、そして、ついうっかり、八重ちゃんの胸に手を伸ばしてしまった。ふわふわに泡立てた生クリームみたいな手触りは、かなりの奥行きを持っていた。途端に八重ちゃんが身体を離してぷうっと頬を膨らます。
「ほら、やっぱりおとこはえっちだ」
「ごめん、でも、おとこはエッチだよ、やっぱり」
 はぁ、と八重ちゃんがため息をつく。あたしだって。え、なに? あたしだって。
「あたしだって、はやしくんと、したかった」
「したかった?」
 仔犬みたいに自然に、八重ちゃんが僕の胸にもぐりこんだ。ねえ、ほんとに、あたしなんかが好きだったの? うん、好きだった。本当に? ほんとに。あんなことがあったのに? 昔の八重ちゃんも今の八重ちゃんも、ぜんぶ八重ちゃんだよ。かっこつけちゃって。でもほんとだもん。うそつかない? おれ八重ちゃんに嘘ついたことない。あたしはいっぱいうそついてた。それもおれの好きな八重ちゃんだから。ばかだなあ、あたしなんかに。でもバカでよかったってほんとに思ってるよ。
「あした卒業したら、はやしくんは、もう同級生じゃないんだよね?」
「同窓生っていうのかな」
「はやく卒業しよ、高校なんか」
 その意味をたずねようと開きかけた僕の口は、首に腕を巻き付けてきた八重ちゃんの口唇にすぐにふさがれていた。口唇を重ねたまま、ばかはやし、と八重ちゃんが言ったみたいだった。


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十一月の偶然
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