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第一話 1年A組
「赤川次郎と塩ラーメン」
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 次の日、連休を間近に控えていたが席替えがあった。ホームルームですることがなく、先生の提案だった。
 黒板に机の数と同じだけ書いたマス目に、廊下側からA1、A2、と記号を振り、その間、生徒それぞれがいま座っている席の記号をノートの切れ端に書いて、教壇の大きな封筒に折り畳んで入れていった。
 くじ引きのあと、ここは動物園かというような騒ぎの中、A7と書かれた紙切れをひらひらさせて、さっきまで僕の後ろに座っていたヒグチが近寄ってきた。黒板でその場所を確認して、廊下側一番後ろを見ると、その隣の席に八重ちゃんが座っていた。ヒグチは物言いたそうにニヤニヤと笑っている。
「千円でいいよ」
「は?」
「楽しい高校生活が千円で手に入るなんて安いもんじゃない?」
「い、いらねえよ」
「んじゃ別の八重歯ちゃんファンに売っちゃお」
「ちょっと待った」
 一分後、僕は八重ちゃんの隣に座っていた。
「あ、おかしなひとだ」
「それやめようよ、マジで」
「あっかんべ」
 僕は銃殺された。いや、心臓に真っ赤な矢が突き刺さるありふれたイメージが見えた。か、かわいい・・・。こんなにかわいいとは思ってもみなかった。ちょっと値切って七百円にしなくてもよかった。
 黒板を見る振りして背中をやや廊下に向けて座っても、廊下側の一番後ろという位置からしてあまり不自然でなく、そうすることで一日中八重ちゃんを眺めて過ごせることに気付き、小踊りしそうになったのは連休が始まる前の日の午後だった。連休なんか要らない、おれの楽しみを返せ。僕はすべての神々を恨もうかと真剣に考えていたが、カレンダーを見たらひどい飛び石連休だったことがわかり、僕を思いとどまらせてくれた。
 いま世界があるのは、その年の連休がちっともゴールデンじゃなかったからにほかならない。
「わざと教科書を忘れる攻撃」を思いついた連休の谷間、その名案を思い出すたびに薄ら笑いを浮かべる僕は家族全員に気味悪がられていた。年齢の近い妹の険悪な眼差しはこの日が最高潮だった。妹よ、ならばおまえもあっかんべで男を悩殺してみろ。もちろん言わなかったが。どの授業でその作戦を実行に移すか。そのためだけに時間割を見つめ、授業内容と教師の顔を思い浮かべ、次の現代国語の時間に照準を定めた。いっそ現国の教科書など捨ててしまおうかとも考えたが、それはやめて本棚にしまっておいた。



 待ち遠しい現国を控えた昼休み。わざとらしくリュックを漁っていたところへ、言うなればクラスの政権政党的なグループのリーダー格が僕の前の席に座った。
「もう、すみに置けねえな、林」
「はあ? 何のこと?」
 僕の隣の席が空いていることを確認して、オオタニ党首が小声で続けた。
「付き合ってんだろ? 相原と。みんな言ってんよ、手が早えって」
「えええ!」
「もう、やったのか?」
「なななな」
「まあまあ、落ち着け、どう言い訳しようがやたら楽しそうだぞ、お前ら」
 顔が真っ赤になっていくのがわかる。耳が熱い。
「昼飯は?」
「まだだけど」
「相原と約束してないんだったら、ラーメン食いに行かね?」
「え、いいけど、どうやって」
「校庭の通用門、押せば開くんだって先輩が言ってた。ぱーっと行ってぱーっと帰ってくりゃ、誰も何も言わねえって」
 さすがは政権政党々首。色々な情報を持っているらしい。そんなわけで党員四人とこっそり学校を抜け出し、カウンターしかないラーメン屋でなかなか美味い大盛り味噌ラーメンを食い、チャイムの音に慌てて教室に駆け戻った。以来僕は政権党の追加公認候補みたいな感じで、なんとなくクラスに馴染んだような存在になっていた。
「どこいってたの?」
「ん? ラーメン屋」
「あー、いけないんだぁ、不良だったんだ、はやしくん」
 ふたたびリュックを覗き込む。悪魔の仕業でもない限り、現代国語の教科書は家の本棚で僕を応援しているはずだ。深呼吸して八重ちゃんの顔を見る。
「教科書、忘れちゃった、現国の」
「日ごろのおこないがわるいからだよ」
「見せてくんない?」
「やーだ。不良はろうかにたってなさい」
「お願い!」
「ふーんだ、じぶんがわるいんでしょ」
 教壇の前のオオタニがこっちを見て、首元を手で仰いでアッツイアッツイと口を動かしている。僕の後ろの扉から現国教師が入ってきて、何やってんだと、拝み倒す僕の頭を軽く小突いた。
「きょ。教科書忘れました」
「じゃ、立ってろ」
「ほーら、不良はろうかがにあってるのよ」
「嘘だ、おまえ、見せてやれ」
 神は実在した。しかも僕の目の前に降臨なされた。先生の自宅の方角には足を向けて寝ないことにしよう。卒業しても年賀状だけは毎年出そう。大人になったらお歳暮も。目の前の生ける救世主に僕は感謝してもしきれない。ヨカッタナ。オオタニが口真似をした。前を向け、と顎を動かすと、二本指をこめかみにあてて、椅子の向きを前に戻す。グギグギと音をさせて、机を引きずり八重ちゃんの机に付けて並べ、相原先生よろしくお願いします、と頭を下げた。
「よろしい、授業料はラーメンいっぱい、ということでよろしいか?」
 思わぬ返事に答えが詰る。だめだ、顔の筋肉がいうことを聞かない。喜悦にひきつる頬を精一杯制御して、よろしくお願いします、と言うのがやっとだった。
「ほら、相原林、始めるぞ」
「はぁい」
 驚いた。なんて奇麗な教科書なんだろう。折れ目はおろか汚れひとつない。どうやって持ち運べばこんな奇跡が起こるのだろうか。八重ちゃんがパラパラとページをめくり、机の境目の溝に教科書の背表紙をすべらせて置いた。
 百円シャープを親指のまわりでくるくる回す。逆回転。落とす。他の生徒の音読が聞こえてくる。すでに突っ伏してる奴。ルーズリーフを一枚外して半分に折り、ありがとう、と書いて机の境目に置いた。
(ラーメンおいしかった?)
 驚いて八重ちゃんの顔を見る。わざと無視するように黒板を眺めている。
(結構うまかった、みそラーメン)
(私は塩ラーメンが好き)
(あんまり食べたことない、塩)
(えー!! おいしいんだよーっ)
(じゃあ、今度塩にしてみる)
(ねえ)
(?)
(あした連れてって)
 びっくりして机を蹴っ飛ばしてしまった。先生がにらんでいる。
(どこに?)
(ラーメン屋さん)
(あした? いいけど休みだよ)
(いいじゃん、休みでも)
(わかった)
「聞いてるか相原林」
 なぜか教室が笑いに包まれた。
「はい」
 ルーズリーフを教科書の下に隠す。
「じゃ、続き読め、林」
 何も言わずに続きの場所を指差して、ふーん、と窓の方を八重ちゃんが見ていた。ポニーテールにした髪を結ぶゴムがあまりかわいくなかったが、僕はもう、あしたのことで胸が破裂しそうだった。口がカサカサに渇き、どうにかこうにか読みきって、疲れ果てたように席につく。僕の机の真ん中に、裏返しのルーズリーフが戻されていた。
(ごくろう)
 僕の方は一切見ない。ずっと前を向いたままだ。少しすました横顔を見て、僕も板書を書き留めることにした。



 リュックのポケットに、入学式の日に入れておきながら、まだ使っていないギンガムチェックのバンダナがあった。授業が終わってから、糊が効いて型崩れしていないそれを八重ちゃんに手渡した。
「なに?」
「髪の毛束ねてるゴムむきだしじゃん、これで隠しなよ」
「え? リボン、ない?」
 両手を頭の後ろに回してすぐに目をぱっちりと開いて、やーん、どうしよう、と立ち上がった。
「ないでしょ?」
「うそぉ、どこでおとしちゃったんだろう」
 手提げを机の上に置いて中を探っていたが、やっぱりリボンはなかったらしく、困った顔をして口を尖らせた。あまりの愛らしさに呼吸が止まる。差し出した手が硬直してしまった。
「まままだ新品だからきれいだし、おおれ使わないから、気にしないで使って」
「なに、どもってるの」
 くしゅっと表情を崩して、天使が飛び回るような笑顔になった。僕は観念した。八重ちゃんに重症の恋をしてしまった。間違いない。
「ほほら、遠慮すんなよ」
「じゃ、ちょっとかりるね」
 丁寧にバンダナを開いて帯状に折り畳み、腕を上げて器用に髪を結んだ。節目がちな仕草が妙にエロティックで、チンコが素直に反応し始めたので僕も椅子に座った。
「どう? ヘンじゃない?」
「うん、ぜんぜん。かわいいよ」
「あんがと、あらってちゃんとかえすからね」
 返してくれるなら洗わないで欲しい。なんて言ったらきっと八重ちゃんは
「へんたいはやしさいてー」
とでも言うのだろう。はからずも屈折した笑みがこぼれる。八重ちゃんにならそんなことを言われてみたい。
「きょうさぁ、ひま?」
「帰り?」
「うん、本屋にいきたいの、いっしょにいこ」
「いいけど、なんで?」
「ないしょ」
 ないしょ、の意味がわかったのは、赤川次郎の文庫に手を伸ばした時だった。最初は、あれとって、これ見たい、とワガママ言いたい放題の八重ちゃんにあきれ気味だったが、それらが全部高いところに並べられていることに気づいた時、僕はいとおしさの余り身体が凍えそうになった。高いところにある本が取れないから付き合え、なんて八重ちゃんのかわいいプライドが許さなかったのだ。
「はやしくん、これ、もどして」
「えー、自分で戻しなよ」
 わざと言ってみた。みるみる頬を膨らませて、怒っているのか何なのか、まったくわからない表情になる。顔のひとつひとつの部分が怒りを表現できるようにはつくられていないのに、無理に怒った表情になろうとしているみたいだった。怒っているのに可愛いとはどういうことか。これを可愛いと言わず、何と言えば良いのだ。もう、ぐにゃぐにゃにとろけてしまいそうだ。八重ちゃんの怒った表情を独り占めしている僕は、市場を独占する大企業の社長よりもきっと幸せに違いない。
「うそうそ、はい」
「もー、ばかはやし」
 文庫を戻して、気になっていた靴のひもを結び直して頭を上げた先に、流行り始めていたミニスカートの制服を無防備にふわふらさせて、八重ちゃんが平積みになった文庫本に手を伸ばしていた。つるつるのひざの裏がリカちゃん人形みたいで、その上の真っ白なリカちゃんパンツを連想してしまった不純な自分に危険を感じた。とことことレジへ向かう八重ちゃんの後ろ姿は、リカちゃんというよりはうさこちゃんに近いような気がする。どっちにしてもあのふとももは危険だ。
 本屋の軒先で茶色の紙袋を手提げにしまって、あした、どうしたらいい? と八重ちゃんがとんとんと小刻みに背伸びを繰り返す。
「じゃあ、駅前に十二時ね」
「うん、わかったぁ」
 三角公園で見送った、つやつやのふとももが初めて僕に使わせたティッシュペーパーの数は、二枚だった。


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十一月の偶然
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